Essay 57 静かに壊す

私の散歩コースに解体工事中の家が2軒有ります。どちらの家も狭い道路に面していて、対向車両がすれ違えない程の、道沿いに建っています。


1軒の家の解体は、大きな重機が入って来て、道の真ん中に遠慮無く座り、一般車が通ろうとしても、平気で作業を続けています。その道は通学路になっている為に、小さな子供も通ります。解体車両の後ろは、1m足らずしか開いておらず、子供が恐る恐るその後ろを歩いても、重機を止める事さえしません。雨の日に傘を差している子供たちが通っても、平気です。朝の8時前から、大きな音を立てての工事です。廃材を運搬する大型車両が、子供たちをかすめながら、無理やり狭い道を出入りします。


そのおかげでしょうか?1週間足らずで、きれいさっぱり既存建物の解体は終わりました。(幸いにも、事故や怪我が無くホッとしました)


さて、もう1軒はと言うと、実にのんびりやってます。
屋根瓦を一枚ずつ、手で剥がしているのです。とても解体工事をしているとは思えないほど、静かな作業が続いています。当然、時間も掛かっています。


時折おじいさんが、その作業を眺めている光景を見かけます。なぜ、こんな時間を掛けているのでしょう?道の狭さを考慮した為でしょうか?隣近所への配慮なのでしょうか?
それとも・・・・・。


私は、そのどれもだと思います。そして、何より「その家」は愛されていたのだと思います。


合理的に解体するのならば、例え近所に迷惑を掛けようが、車の通行を邪魔しようが、子供の2,3人怪我させようが、知ったことでは有りません。これ全て「業者」のせいなのですから。解体作業が長引けば、それだけ費用もかさみます。無駄な出費を惜しむなら、少々強引な作業をする素行の悪い解体業者に依頼すれば良いのです。人の事なんか知っちゃあいません!それが、今の「合理的」と言う、思いやりの無さなのでしょうから。

でも、私は静かに解体されている家が好きです。そして、非合理的でも、そんな解体の仕方を依頼する、その家人が好きです。私には、その家が喜んでいる用に感じるし、とても愛された、大切な思い出が、沢山詰まっている家なのだと思います。


建築とは、所詮「破壊する行為」なのだと思っています。木を切り、土を削り、ゴミを出す。でも、だからこそ思いやりの気持ちが、必要なのではないでしょうか?自然に、街に、隣近所に、そして何よりも自分たちに。


解体工事が終われば、今度は新築工事でしょう。どんな家が建つのか、楽しみです。そして、きっと静かに解体された家のほうが、優しい家が建つと信じています。良い家が建てば良いなぁ。それから、合理的な仕事をする家は、事故を起さない事だけ祈ります。

静かな雨の降る月曜日に、書いています。