設計に限らず、洋服でも食器でも、あるいは料理を作ることにでも「センスの有る、無し」と言うことが言われます。非常に良く使われる言葉ですけど、じゃあ「センスってなぁに?」と聞かれると、明確な定義を言える人は少ないのでは?・・・・・実は私も判りません。
さっそく国語辞典で調べてみると・・・ありました!
センス - 感覚、知覚(能力)・細かな感覚・普通の感覚、常識
と書かれています。これでも、やっぱり判りません。じゃあ「感覚」はと調べてみると、見たり聞いたり味わったりしたときに起こる感じとあります。
じゃあ「あの人の服装って、センス良いわね~」って言葉に置き換えてみると、
「あの人の服装って、見たり聞いたり味わったりしたら 良いわね~」となるのでしょうか?
チョット違うなぁ。
多分気持ちが良いとか、悪いとかと言った、かなり個人的な意見のことを、指すのでしょうね・・・。つまり「あの人の服装って、私はとても素敵だと思うわ~」と言ったニュアンスなのでしょう。こっちの方がずっと自然な解釈ですよね。
同じ料理だって、出来た物をフライパンのまま出されるのと、洒落たお皿に綺麗に盛り付けされて出されるのでは、当然味まで違って感じる筈です。
でも、それが見た目には美しいのですが、非常に食べにくい形で盛り付けられていたり、味は確かに美味しいのですが、体に害の有るような物がふんだんに、調味料として使われていることを知っていたらどうでしょう?私ならまず食べません。
もう少し違う例をあげると、静かなBARで洒落た男がバーボンを傾けていたとしましょう。(私がモデルではありませんので、そのつもりで)入り口から入ってきた女性が、遠くから男を見る。男は煙草に火を点け、どこか物憂げな眼差しで遠くを見ている。女性は「素敵!=センスが良い」と思ったとしましょう。でも、隣の椅子に腰掛けると、煙草の煙が煙幕のように広がり「健康に悪いわぁ~」と、早々に席を離れてしまいました。これって、見たときと味わったときの、感想が違うと言うことですよね。つまり、今はそう言う時代なのではないかと、思っているのです。
建物の場合などは、もっと顕著にお判り頂けると思います。完成したばかりの友人宅に招かれたとしましょう。吹き抜けのある玄関、広いリビング、最高級のキッチンを備え付けたキッチン、まるでドラマのセットのよう。「ステキねぇ~」と声をあげるのは、部外者だからかもしれません。実は、そのうちの主婦は、掃除に困り果てているかもしれません。最高級のキッチンは、見栄えは良いですが実用的ではないかもしれません。玄関の吹き抜けの上に飾られた、照明器具の電球を替えようとして、梯子から転げ落ちているかもしれません。
つまり、主観と客観は別の物だと言うこと。当たり前だと思われているかもしれませんが、本当に胸を張ってそう言い切れますか?隣の人が「良い」と言った物を、あなたも「そうねぇ~」と心にも無い言葉で同調していませんか?
私は、今はそう言う時代だと思っています。勿論、違うと言う人もいるでしょう。ところが、こう言った個性や主張をする人を「異端児」として見てしまうのが、今の世の中だと言っているのです。
今は飽食の時代。経済が貧しいと言われても、国民全て中流意識の上に生活しています。その意識が「自分の正しい価値観や思考」を妨げているかもしれません。だからこそ、一人一人の「感性や主張」を見直す必要があると思うのです。
そこには独善的でなく、傲慢でもない、ましてや奢りや見栄も無く、ただ純粋に自分の為、家族の為、あるいは友や人の為と言った、優しさがある事が大切です。
きっと・・・子供の時には誰もが持っていたのに、大人になるに連れて、少しずつどこかに置き忘れてしまうのかもしれませんね・・・。もう一度、思い出したい大切な物です・・・。