Essay 79 なぜ少女は死んだのか?

設備機器の製造・販売メーカーである「ノーリツ」のジェット・バス(気泡浴槽)の流入孔に、髪の毛を巻き込まれ幼い少女の命が失われた。謝罪会見をしたノーリツだったが、実は3年前にも同様の事故があり、社員はその事象を特殊な例と判断し、上司に報告していなかったそうだ・・・・・。
ばかな・・・・・。その時に問題個所を改善していれば、今回、尊い命を失わずに済んだものを。ノーリツ社の社会的責任は、免れないだろう。そして失われた少女の命と、ご両親の笑顔も二度と戻らない。


この事故を聞いた時に、私はもう一つのことを考えていた・・・。いや、疑問に感じたのだ。
それは「なぜ少女は死んだのか?」と言う事だった。


事故発生時、髪の毛を巻き込まれた少女は浴槽内で、もがき苦しんだことだろう。手足をばたつかせ、助けを求めるべく暴れ苦しんだ筈。豪邸のように広い家ならいざ知らず、一般住宅の浴室での事故。「家族は気が付かなかったのだろうか?」と疑問に感じたのだ。


お断りしておくが、気が付かなかった家族を責めているのではない。問題は、その家族の住む家の間取りや、造りに有ったのではないかと感じているのだ。そして、それはこの家だけに限った事では無いとも思っている。


今の大抵の「住宅」は、水廻りと呼ばれるトイレ・洗面・浴室が一箇所に集められ、廊下を介して出入りするような間取りに造られている事が多い。つまり居間や食堂にいると、廊下を隔て、洗面脱衣室を隔てた浴室内の音など、聞こえる筈も無い。まして、気泡の噴出すブクブク音がしていたのでは、チョットやそっとの物音に気付けと言う方が無理だと思う。


今回の事故は、ノーリツ社の怠慢が原因で起こった不幸な事故だが、では他の原因で、万が一浴室内で事故が起こった時には、一体誰が一早く気付くことができるだろう?


今回の事故の発見当初の様子までは知らないが、あまりにも長湯を気にして覗きに行って発見したのではないかと推察している。と言うことは、他の場合でも同じ事だろう?
例えば浴室内で、心臓の発作を起こしたとか、転んで頭をぶつけたまま湯船に沈み込んだとか言う事故が、起こらないと誰が言えよう。


一般住宅の中で起こる事故は、階段での事故が一番多いと思っているかもしれないが、実は階段での事故と言うのは意外と少ない。本当は浴室での事故が一番多いのだ。プライバシーを要求される閉塞空間。裸と言う無防備状態。お湯や石鹸での滑りやすい状況。リラックスを求める為に、油断するのかもしれない・・・・・。更に輪を掛けたように、個室の密閉性や遮音性を大切にすることだけが、重要と考えられる風潮。


もう一つは、「気泡バス」と言う物が、本当に家庭に必要なのか?も疑わしい。確かに気持ちの良いことは私も承知しているし、決して嫌いではない。


元々日本人の「お風呂」に求める欲求には、「体を清潔に洗う場所」と言う他に、「精神的にもリラックスしたい」あるいは「コミュニケーションの場」としての欲求があったはず。「コミュニケーションの場」としては、一昔前の銭湯を思い出して頂ければ想像できるでしょう。家庭内においては、親子や兄弟、あるいはご夫婦でお風呂に入り、いつもとは違ったコミュニケーションを楽しまれることもあると思うのです。


問題は、「精神的なリラックス」を求める際に、機械と言う物質に頼ってしまうことではないでしょうか?もっとソフトでリラックスを求める方法も有るはず。


例えば広さ。本当に「浴室での快適性」を追求するのなら、1坪タイプのユニットバスなど止めて、2、3坪も有るような広い浴室を作ってしまえば良いのです。仮に部屋を一部屋無くしても、それが「家人の拘り」なら、それで良いじゃないですか。ついでに坪庭なども設けて、小粋な緑を照明で浮かび上がらせながら、足を伸ばせる浴槽なら、それだけで毎日幸せになれるはず。ひょっとすると、お風呂に入りたいと言う気持ちだけで、毎日早く帰ってくるかもしれません。


まぁ、多分に「精神論」と一笑されてしまうかもしれませんが、狭い土地、狭い家の中に「あれも入れて、これも入れて」と詰め込んで、ギュウギュウ詰の空間を機械で補う今の家の造り方。本当に正しいとは思いませんし、「チョット欲張り過ぎじゃないの?」と思ってしまいます。


もう少しだけ、家の中で、誰が、何処で何をしているのかが感じられる・・・ほんの少しだけで良いから・・・。そんな気持ちが有る家を造る事を、考えられないでしょうか?そんな気持ちを持てる施主・・・設計者。そして「人」に、なることは出来ないのでしょうか。ひょっとすると、たったそれだけのことで。


心からお悔やみ申し上げます。