今年初めてのエッセイです。書きたいことは色々有るのですが、やっぱり新春と言えば「今年を占う!」みたいな企画が有りがちですよね~。で、私もその有りがちな企画に乗ることにしました(笑)ところが、いざ書こうとすると「1世紀」なんて長い時代を想像することが出来ない!だって「10年一昔」と言う言葉さえ通用しないほど、今は時代の流れが速いですからね~。と言うわけで、取りあえず20世紀を振り返ることから始めてみようと思います。(それも軽く・・・)
20世紀と言えば1901年からでしょ?1901年頃と言えば“ブラウン神父”の生みの親であるチェスタトンが活躍し・・・・・あっ!これは推理小説界の話しだから置いといて。
日本の住宅に関して、大きな波と言えるものが3つ有ったと思います。それは「戦争と復興」・「高度経済成長」・「バブル経済」だったような気がします。高級住宅地として有名な「田園調布」ですが、あの田園調布を作る元になった「田園都市構想」がイギリスから持ち込まれたは1907年頃でした。つまり戦争の前から、都市を作ろうと言う思想が有ったと言うことですね。
結果論ですが、もし戦争が無く日本が1900年の初めから「田園都市構想」を確立できていたとすれば、どんなに素晴らしかったことでしょう。きっとイギリスにも負けないほど美しい街並が見れたのかもしれません。チョット見たかったぞ・・・・・(残念)
ところが戦争が始まり、日本全土が焼け野原に。折角の都市構想も全てリセットされ、美しい都市を作ると言う考えよりも、早くこの悲惨な状況から抜け出すために、人々は先を争うように住む場所を建て始めたんですね。そこには秩序だった都市構想が介入できる状況では無かったと思います。これが今の都市の下地になったのだと思います。
でも敗戦国日本は経済で頑張ろうとします。戦争前のようなゆっくりとしたペースではなく、頑張ろう頑張ろうと遮二無二働き始めます。その結果、日本の産業は飛躍的に発展し、豊かな国になり始めました。ただし環境が乱れ始め、今まで見たことも無いような有害物質も生み出してしまいます。工場は乱立し、産業に重要な道路の整備などが優先的に進められていくのです。野山は切り開かれ、人々は自然の中に侵食し始めました。
道路網の拡大は決して悪いことでは有りません。でも江戸時代の広い道路とは意味が違ってきたのです。江戸の町の広い道路は、火災や防災活動を優先に考えられていました。つまり人の安全や住みやすさを考えての都市計画だったのです。
ところが、この当時の道路網の拡大は経済中心だったのです。もっとも、そのおかげで今の自動車の便利さに繋がっているのですがね。
同時に、この頃を境に家の体系が少しずつ変わり始めたような気がします。それまでの2世代・3世代で暮らすと言うことから、少しずつ核家族化が進み、欧米社会の暮らし方やライフスタイルに憧れを持つようになり始めました。勿論、仕事を頑張れるような居住地を選ぶことや、首都圏に経済や行政が集中し始めたこともこれに拍車をかけたような気がします。
人々は「公害問題」などに直面し、環境や自然に対する考え方に、疑問を持ち始めるのもこの頃です。でも、急速に発展し始めた経済成長は留まるところを知りませんでした。そしてバブル経済が到来します。住宅、あるいは建築と言うものが、「住む」と言う生きるために必要な場所の確保と言う、常識的な欲求から、「資産」としての物欲に変わっていきます。
その結果、乱開発が進み自然環境が突然に破壊され、1年に1度行くか行かないか程度のリゾート・マンション等も建ち始めました。住宅にしても、あまりの急激な需要に供給が間に合わず、結果的に基本的な性能や品質さえ確保できない建物まで生まれます。いわゆる「欠陥住宅」の誕生です。そしてバブル崩壊。
流行り病の熱から覚めて、周りを見まわすと「有害物質」が取り巻く環境に気が付きます。壊し過ぎてしまった環境から、日照権や眺望権と言った、残り少ない環境を守りたいと言う要望も出てくるのです。そして世紀末。
さあ!20世紀とは違う意味での「カオス(混沌)」の条件は揃いました。都市構想が戦争で崩れ、経済成長をなし得た結果、沢山のものを失い、それに気付いたのが20世紀では無いでしょうか?それでは21世紀は、どんな時代なのでしょう。この続きは、来週の「21世紀の住宅像.2」をお待ち下さい。
なんだか、良いところで終わるドラマみたいだなぁ~。
今年も、こんな調子で宜しくお願いしま~す。