Essay 115 設計監理の必要性

今回はメールでお問い合わせ頂きました「設計監理の必要性」と言う質問に、お応えする形で書いてみたいと思います。「設計監理」の重要性をお話するには、「欠陥住宅問題」を例に取るのが早いでしょう。

巷で「流行語」のように使われている「欠陥住宅」と言う言葉ですが、この欠陥住宅と言うのは、所謂「建設工事における一般的な常識や基準を著しく逸脱し、居住者の安全と財産を侵害したもの」なんて定義にしたいと思いますが、どうでしょう?


これらの「欠陥住宅」の大抵の場合は「良識ある公平な設計者が、正しく設計と監理をすれば防げたものが大半」だと思います。と言っても、一般の方は「工事管理」と「設計監理」を混同しがちですので、この違いを正しく理解して頂く事が前提かもしれません。



■工事管理
工事をする施工者が、金銭・工期・職人の手配や段取り、そして建物の品質を管理することを目的に行う行為を指します。


■設計監理
設計者、あるいは別途委託された「建築士」が、工事の質の確保・進捗状況・設計図の不具合による工事中の補正・色彩等の計画・施工者と施主とのオブザーバーになり、設計図を遵守し正しく仕上げる事を最重要に考えた現場チェック及びそれに類する行為を言う。


つまり目的が違う訳なのです。当然、「守るべきもの」が違って来る場合も有るでしょう。その違いが「欠陥住宅」を生む大きな要素の一つだと言っても過言ではないかもしれません。話を元に戻しますが「設計監理行為は重要なの?」とお尋ねになる場合、建物は誰とお建てになるのでしょう?


まず「ハウスメーカー」にお願いした場合、メーカーの現場監督が「工事管理」を行うだけで、設計者の第三者的な監理はありません。そりゃあ~そうですよね?だって設計者だって同じ会社の人間ですから、どう見ても「第三者的な公平な監理」なんて無理ですよね?


次に大工さんや地元の建設会社にお願いした場合ですが、これもハウス・メーカーと同様で許認可を取ってくれる設計者は「大工さんや建設会社の下請け事務所」になるのが普通です。となると、設計事務所にとってのお客さんは、施主ではなく「大工さんや建設会社」。当然、この方たちに逆らえる訳が無い。つまり本来有るべき「公平さが保ち難い環境」は必然。


それじゃあ、設計事務所に設計を依頼した場合はどうでしょう?当然「設計行為と監理行為」はワンセットと考えられます。だとすれば「監理行為だけ要らない!」って言うのは、どう言う場合でしょう?


考えられるのは、「許認可作業」の取得だけを設計事務所に依頼した場合です。(所謂、代願作業だけ頼むって場合でしょうね?)


この場合、「監理作業」は業務として付いてきません。(そりゃあ、そうだ!だってそんな依頼受けてないし、報酬だって貰ってないですからね・^^;) ただし建築基準法上の、最低の監理責任だけは設計者に付いて来ちゃうんですよね~。だから「報酬も貰えないのに、そんな責任を持てないよ~」って場合には断られちゃうのが落ちです。


じゃあ視点を変えて「監理行為だけを止めたい理由」って何なんでしょう?これ単純に「お金」じゃないかと思います。つまり勿体無い(爆) この場合、「勿体無い」と考えるのは「監理行為だけではなく、設計者にお金を払って作業してもらう事自体が勿体無い」と言う考え方ではないでしょうか?


これを言われたら、話はここで終いです。時間を掛けて説得するのが無駄と言う事を、今まで何度体験した事か。もっとも、ここで話を終わらせる訳にはいかないので、報酬の話はちゃんとご説明します。


例えば、総工事費2000万円の住宅を建てると仮定します。その時の設計監理報酬を10%の200万円だったと仮定しましょう(これ事務所によって違うので仮定でご勘弁を)


その200万円の「設計作業」と「監理作業」の比率は、だいたい「7:3」か「6:4」と言うところだと思います。つまり設計7割、監理3割と言ったバランスですね。監理の報酬額は60万円だと言う事です。


じゃあ、この話は置いといて(笑) 依頼した建物が「欠陥住宅」になる可能性はと言えば、施工者任せの場合「五分五分」だと思います。「チョッと極論だぞ!」と言われるかもしれませんが、可能性だけのお話ですから目くじら立てないこと!


もし仮に「欠陥住宅」になってしまった場合、訴訟を起こし施工者と争ったとしたら、一体いくら必要だと思います?弁護士報酬を始め、裁判所への供託金、雑費、失った時間、Etcetc。私が知ってる最高額は、裁判費用だけで500万円以上掛かった人を知っています。それでも勝てれば良いですが、今の日本で「欠陥住宅訴訟」の完全勝訴率は3割ぐらいじゃないですか?ひょっとすると、もっと少ないかも?


例え裁判で勝ったとしても、その金額全部を施工者が払ってくれる訳では有りません。それに失った時間や精神的な苦痛を金銭で保証はしてくれません。


何十、何百と言う金額を裁判に注ぎ込み、数年・・・あるいは数十年、いえ!ひょっとしたら一生苦痛を感じながら生活して行く覚悟が有るのなら、何も聞かず、何も見ず、ご自身の中にある常識だけを信じ、お家を建てられるのも一興かと思います。


よく「住宅金融公庫」を使った場合、「公庫の検査が有るから大丈夫」なんて言われる方が、いらっしゃいますが公庫の検査ってどんな物かご存知ですか?工事中に2度有ると言われる検査の内容と、その方法を承知の上で大丈夫だと言われるのなら良いのですが?


実際には確認申請図書(平面図など)に記載された通し柱の位置と筋交いの位置の確認、補強金物を正しく使っているかのチェックが行われる「中間検査」で1度目。建物が完成した時点で、火気使用室(つまり台所)に使用されている内装材が不燃材料であるか?間取りは図面通りに作られているかの確認が2度目。以上です。


凄くレベルの低い例え話をすれば、壁紙が剥がれていようが、窓ガラスが割れていようが、歩くとしなる床だろうが、金融公庫の検査は見事に合格するのです。ご存知ですよね?


金融公庫の検査とは、融資したお金が目的物に使われているかどうかを確認する事が第一で、建物の質や出来不出来を吟味する事が第一ではありません。勿論、それも含まれてはいますが、そのチェックが重要な検査では無いと言うことです。つまり設計者が行う「設計監理」とは全く別物なんです。


辛辣な書き方をして申し訳ありません。ただ、「お金お金」と言うのは止めにしませんか?今の世の中、家を建てる時に予算が有り余っている方などいません。皆さんギリギリの予算で、少しでも良い家を建てたいと願っている方ばかりです。


もし本当に家のことを考えるなら、ご自身で予算書を書いてみては如何でしょう?解らないながらで良いですから、「自己資金がいくら有って、融資がいくら受けられて、月々の返済額が」から始まって「地鎮祭にいくら必要。引越しに、購入する家具の予算が・・・」と、予算を割り振ってみてはどうですか?その結果、「これぐらいなら設計屋さんに払っても大丈夫」と言う金額の目安が出たところで、設計者に相談してみる方法も有ると思います。


施主の熱意や努力があれば、金額の相談にも応じてくれると思います。そこまでしてダメなら、初めて「設計者にこれ以上の報酬を払うのは勿体無い」と言っても遅くないのでは有りませんか?


誰と家を造ろうと、大なり小なり設計士とは関わります。その中で「費用を払うのが勿体無い」と言う言葉を使ったら、そこから先は全て勿体無いと言う事になりかねません。大切なのは「限りある予算を有効に、生きたお金として使う」と言うことではないでしょうか?その「生きたお金の使い方」の一つとして設計者に話を聞いてみると言う事も、選択肢の一つではありませんか?ご結論は、その後でも遅くないと思いますが如何でしょう?