私が訃報を聞いたのは、随分後になってからの事だった。
「せめてお線香の一本でも」と思い、お宅にお邪魔した日は冷たい霧雨が降っていた。玄関を上がって直ぐ左の和室に立派な仏壇が座り、奥様の遺影が静かに微笑んでいた。
お線香を供え手を合わせた後に、ゆっくりと家人に頭を下げる。その瞬間、私はとても静かな部屋と時の中にいた。
何気なく部屋を見回すと、開け放たれた襖が人の居なくなった家の広さと、静けさを感じさせる。ご主人は奥様との、お二人で暮らされていたのだった。
家人は70歳をとうに過ぎ引退した棟梁。腕と気風の良さで、若い頃は有名な方だった。その方が今、目の前で静かに時を見つめていた。向かい合ったまま無言で部屋を見回す私と棟梁。
それぞれ違う想いで見つめる柱、壁、天井。こんな私にまで、いつも優しく話し掛けて下さった奥様の姿さえ、物言わぬ二人の男はそれぞれに見ていたのだろう。
静かな家。その静けさに怖ささえ感じる音の無い時間。近頃、こんなに音の無い時間を感じた事が無かったと思えるほどの静寂。テレビやラジオは勿論、時を刻む音さえ聞こえない家。
車の音も道行く人の声も無い。片付きすぎた部屋、止まった時間の中で奥様の情念だけが揺れていた。
どれ位そうしていただろうか。線香の灰が落ちる音で現実に戻って来た。玄関を出て振り返った家は、夕暮れの闇に溶けてしまいそうな程おぼろげに見えた。
家とは何だろうか。所詮、人が生きるための器でしかないのだろうか。大切なのは「どんな家」なのかでは無く「どんな人が生きているか」なのかもしれないとも思う。設計する者としては随分軟弱な考え方だが・・・。
高齢の棟梁が一人残された家・・・それも家。もし私に「連れ合いに先立たれた高齢者の終の棲家」を考えろと言われたら、私は一体どんなものを考えるのだろう。
それがもし、ガキが小理屈を捏ね回した程度の紛い物だったとしたら、到底太刀打ち出来る筈も無いような切実な何かがある。白刃の上を素足で歩くような怖さを、心の何処かで感じる。
お線香を供えに来た筈なのに何かを教わったような気がして、私はもう一度建物に向かって頭を下げた。霧雨の冷たさを感じる5月の夕暮れのことだった。