Essay 142 公庫廃止と建設業界

小泉首相の『聖域無き行政改革』とやらで、その廃止が本決まりになりそうな住宅金融公庫ですが、この金融公庫が無くなると『住宅の質』が、どう変わっていくかと言う話は前に書きました。今回は少し視点を変えて、改めて考えてみたいと思います。


平成12年度の住宅着工件数は、全部で 130万戸。そのうち建設資金に公庫融資、あるいは公的資金を利用した数はおよそ43万戸で全体の33%にも上ります。一戸辺りの建設額を2000万円と仮定しても、その総額は全部で9兆円弱と言う凄い金額になります。


もし金融公庫が無くなったとしたら、この金額を少しでも確保したいと考えるのは、民間の銀行とすれば当たり前ですよね。


じゃあ民間の金融機関は、この事について、どう考えているのかをチョッと尋ねてみました。以下はその内容の一部です。

「住宅金融公庫廃止案」が浮上していますが、その事に関して金融機関としては何か対応策を考えているのですか?


当行に限らず、住宅ローンは金融機関が融資残高を伸ばしたい分野のため、積極的に推進を図ってくると思います。


当然、住宅建設資金の融資先として地元金融機関が頼りになると思うのですが、金融機関としては、他行と、どのような差別化で勝負しようと考えているのでしょう?金利?融資枠の拡大?それとも?


商品性は、どの金融機関でも大きな違いは無いと思います。案件審査のスピードと業者の囲い込みが起きると判断します。(住宅金融公庫は判断基準が明確なため、業者でも利用の可否がある程度判断できていた。金融機関のローンはそれぞれの金融機関で判断要素が異なるばかりではなく、表には出さないため、従来以上に審査のスピードは必要となる。)


なるほど・・・。ところで、住宅メーカー全盛の時代と言われていますが、最近では設計事務所と一緒に造る「家造り」をのニーズも高まっています。個性を尊重すると言うニーズも然る事ながら、建物の質の確保と言う意識が働いていると思うのですが、今までの「公庫基準」さえも無くなってしまうのは「住宅の質を守る」と言う意味では、危険側に働く可能性が高いと思いますが?


そうなれば抵当権を設定する金融機関も、そのリスクを背負う事になりますよね?その時の他行との差別化の1つとして「金融機関独自の住宅基準」と言うのが、出て来るのではないかと考えているのですが如何でしょう?

小田原市では、完成検査を受けることを勧めています。住宅の質の確保と言う点では、完成検査合格を融資条件とすることは考えられます。金融機関で住宅の質を見ることは難しいと思いますので、構造や仕様、品質保証(20年保証するような制度)の有無などにより、融資枠や金利面の優遇をしたり、場合によっては担保掛目の調整で、高品質の住宅を優遇するなどの間接的な方法で判断すると思います。金融機関はお客さん(業者・エンドユーザー両方)の意思の基づく建設そのものを制限・制約することは顧客サイドの問題として、あまり立ち入れないものです。そのため、金融機関の意思は住宅ローンの運用基準を厳しくするなどのことで、顧客サイドに判断を委ねるものと思います。


その他の問題点として
①公庫の融資基準よりも金融機関の融資基準が厳しいと思われるため、公庫の基準でどうにか建築資金が手当できていた層が、融資を受けづらくなる可能性があります。


②ある水準の所得者が高額な物件を手に入れたいため、無理をして融資を受けていたような場合は、かえって融資基準が厳しくなった方が、お客さんにとって望ましいと考えますが、低所得者層(給与所得者・自営業者含む)のお客さん、転職等で勤続年数の短いお客さんをどう拾い上げるかが問題となると思います。


③想像ですが、仮に住宅公庫を廃止しても、現在住宅公庫が金融機関の住宅ローン融資の保証をしている制度を活用して、何らか救済できる商品を金融機関に押しつけてくる可能性はあると思います。(世論が盛り上がれば)

と言う、お話を聞かせて頂きました。この話を伺って、私が危惧した点は2つです。一つは住宅を中心に活動する設計事務所の更なる衰退と同時に、地場に根付く建設会社の崩壊。そしてもう一つは建物の質の低下です。


金融公庫が廃止されれば、民間の金融機関は『融資をしても大丈夫』と言う顧客の振るい分けが厳しくなると同時に、その建物の質や保証内容を重要と考えてくる事でしょう。この時、街場の腕の良い大工さんに、その保証が明確に出来るかと言えば、現状ではどう考えても無理だと思います。どんなに良心的な工務店であっても、金融機関を納得させられるような裏付けは、現状では出せないと思います。


そこへ行くと『大手の住宅メーカー』は違います。10年どころか20年だって30年だって、「ええ~当社が保証いたしますよ~」と立派な保証書を入れてくるでしょうし、金融機関の押さえ所だって百戦錬磨の如く承知しています。これって『勝負の土俵にも上っていない闘い』では無いですか?


設計事務所がどんなに素敵な家の設計をしようとも、クライアントに融資が降りなければ、まさに『絵に描いた餅』。まさか住宅メーカーに、「この絵の通りに建てて貰えますか?」なんて事にはなりません。全額自己資金で建てる事が可能な方は別ですが、そんな方って滅多に居ませんし、今は「公庫が無くなったら?」と言う話をしているので省略します。


同時に箱物行政は終わったと言われる昨今。今までは公共事業の収入に頼っていた建設会社にとって『住宅産業』は参入したくてしょうがない分野の筈。ところが『談合』で成り立っていた建設会社と言うのは、時代のニーズが全く見えていません。


ニーズを研究し追い求めてきた住宅メーカーに勝てる筈も無く、精々「ローコスト住宅」と銘打った価格競争をするのが関の山でしょう。(違うよ~と言うご意見のある建設関係者の皆様、広くご意見お待ちしてます。ただしディベート出来る方限定)


ここまでは、な~んとなく理解出来ますか?じゃあ、今度は「質の低下」が何故起こるかと言えば、独占市場になるからに他なりません。住宅メーカーが全盛の時代だからと言ったって、住宅メーカー自体が山のように利益を上げている訳では有りません。「価格破壊」・「利益率の低下」・「下がらない人件費」で、その内情は火の車です。あっ!長くなったので、この続きは次回のエッセイで。