Essay 168 紐付きへの懸念

「あの、仰ってる意味が良く解らないのですが?」
『だから、○×建設の言う通りの仕様で、言う通りの設計図に書き直して貰いたいんだよ』
「それでは私が設計する意味が無いと思うのですが?」
『そんな事はどっちでも良いんだよ!肝心なのは、この予算で建てると言っている建設会社の意向を尊重する事なんだから。オタクは黙って言うとおりの図面を書いてよ!』


施主のT氏が突然やって来て、唐突に切り出したのは、そんな内容の話だった。
このT氏、出会いも唐突ならば、話の内容が急展開を見せたのも、あまりにも唐突だった。
初めてお会いした時、挨拶もそこそこに『是非、設計をお願いしたい』と言われたのだから唐突でしょ?


今でこそホームページを利用をして、私の考え方や人柄などを、多少でも紹介しているつもりなので、それを見て下さった方から、突然御依頼を頂ける事も有ると言えば有るのですが、そんな方は大抵、私のホームページを隅から隅まで舐めるように読んでいらっしゃる方が殆どなのに、このT氏、『設計をお願いしたい』と言った後に、『ところで貴方は、家の設計に対してどんな考え方をしているのですか?』と聞いたぐらいですから、なんだか出会いの時から「大丈夫かいな?」とは思っていたのですけどねぇ。


で、一体何がどうしたのかと言うと、このT氏の住宅は低予算で建てたいと希望する、所謂「ローコスト住宅」、それも「超」が付くほどの内容だった訳です。まぁ、こんな内容は日常茶飯事なので、さして驚きもしないのですが、厄介なのは「紐付き」だったと言う事。


「紐付き」とは、設計者が決まる前に施工者が決まっている状態を指して、こう呼びます。例えば施主と施工者が親戚とか友人とか、仕事上の深い付き合いが有ると言う場合で、その親密度が深ければ深いほど、設計者は何かと苦労するんです。


本来、建物を建てるにあたり、施主=設計者=施工者の三者は、正三角形の頂点の関係にあるのが一番ベターだと思っています。施主は施主の役割、設計者は設計者の役割、そして施工者の役割もまた然り。それぞれが自分の立場と、やるべき仕事の内容を把握し、そのスタンスを守らなければなりません。それを理解し全うしないと、イロイロと厄介なトラブルが起こるのが現場と言う物です。


例えば施工者の間違いを設計者が指摘したとします。この時、普通ならば直ぐに是正し、適正な形に直すのが施工者の役目。ところが、この三角の関係が崩れていると、施工者は友達である施主に直接交渉したりする訳です。


「設計屋がさぁ~、直せって言うんだけど、こっちの方が絶対良いから!なっ!俺に任しといてよ~」なんて具合に・・・。すると友人の施主も『お前がそう言うんなら任せるわ』って事になる。で、設計者の指摘事項は有耶無耶になってしまい、後でトラブルが起こった時に、責任の所在さえも不明瞭になってしまいます。


「んなアホな~」と言っているそこの貴方!チョッとビックリするかもしれませんが、これ事実です。しかもいざトラブルが起こってしまった時には、知人や親戚だから返って始末が悪い状況に陥ります。と言っても信用出来ない方の為に、私が「紐付き」で、しかも施主と施工者が親密な関係だった為に、遭遇した不幸な実例を2~3紹介しましょう。


■施主と施工者が親戚関係 住宅の新築の場合
純和風住宅だったので、階段も柱が見えている「真壁」だったのですが、施工者が面倒だとゴネ、そこだけ大壁に勝手に変更(施主は了解済み 知らぬは設計者ばかりなり) 完成したら、とんでもなく評判が悪く、施主は泣くに泣けない状況に。


■施主と施工者は知人 店舗の改装の場合
設計図では既存建物の下地も全て撤去し、下地から造り直す予定になっていたにも係わらず、施工者が施主と相談し、既存の下地を再利用する方向で変更。(設計者に連絡なし)
ところが仕上げの壁紙を張ったら、元々の下地が凸凹で、みっとも無いたらありゃしない!(施主は身から出た錆と泣き泣き我慢) 後にこの両者の関係は破綻


■施主と施工者は仕事上の深い付き合い 住宅の新築の場合
施工者の勝手な判断で、設計図と違う梁の掛け方に変更。設計者が、それではマズイと是正を求めるも、施工者は施主に了解を取り付け、更には「これで良し」と言う念書まで書かせる始末。設計者は建築基準法上に違反は無いが、構造的な安全に疑問を感じるから是正するように、何度も指示をするが、念書を逆手に直さない始末。再三に渡る施主・施工者への説得も空しく、両者は頑なに是正を拒否。


建物完成直後、梁の強度不足が原因ではないかと思われる壁紙の皺が発生。その時点で施主が直して欲しいと言い始めたのだが、施工者は念書を口実にこれを拒否。その後両者の関係は崩壊。仕方無しに設計者が他社に協力を仰ぎ、補強工事を行なう・・・・・。


これ全て実話です。絶対に有り得そうに無い事でも、世の中に「絶対」なんて事は有りません。だから三者で補い合うと言うのに、その関係を壊した所からのスタートでは、何が起こっても不思議じゃないんです。


『紐付き』が悪いとは言いませんが、少なくても施主自信が設計者・施工者との距離を理解していなければ、正しい物を正しく造るなんて事は無理ですし、何の為の「設計」か、その意味さえ無くなってしまう事を知るべきだと思います。その辺りもトラブルを防ぐ大切な事なので、知っておいて欲しいと思います。


冒頭のT氏の場合、施工者と友人関係にありました。施工者も良く言えば『施主のため』と言う大義名分が有るのでしょうが、「超ローコスト住宅」であるにも係わらず、計画の段階で輸入建材を勝手に発注したり、自社の倉庫に眠っているサッシュ等建具の数々を、「安くする為に、これ使うから」と言った具合に、事有る度に施主に吹聴していた為、計画図を見た時点で「こりゃマズイ!」と思ったのでしょう。
『設計もこっちの考えがあるから、その通りに書いて貰いなよ』と、T氏に耳打ちしたと言う事だったのでしょう。


で、私はどうしたかと言うと・・・・・下りちゃいました!
どうしても「その考え方は変ですよ?設計の考え方も施主の意向と違った物になりますよ?」と、引かない私に『それなら言うとおりの図面を書いてくれる奴を探すから下りてよ』って感じで、終了~~~!


そんなの設計とは言いません。第一『施主の為になる仕事』とは思えないんです。再三の忠告や説明にも耳を貸さず、『兎に角施工者の言う通りに書いてくれ。勿論設計料は思い切り少ないよ』なんて仕事、誰が好んでやりますか!ってんだ!こちとら江戸っ子でぇ!(ホントは四国) 筋が通らねぇ話しは聞けねぇし、誇りの持てねぇ仕事はしねぇんだよ、べらぼうめぇ!・・・・なんて啖呵は切りませんでしたけどね。


設計事務所に家を頼もうとした時に、施主が守らなければ成らない大切な事が幾つか有りますが、それぞれの距離や立場を正しく理解すると言う事は、最も基本的なことかもしれません。それを正しく理解し、後々誰もが「良い家が出来ましたよねぇ~」と語り合える家でなければ、本当の意味で「成功した家造り」では無いような気がします。


そんな事を大切にしたいと言うと、「まだまだ青いねぇ~」とか言われちゃうんでしょうかねぇ。